yuuki_yoshino’s diary

ようこそ。自作の詩・随筆・小説・楽曲を置いておきます。

真っ当な作品にメタを放り込む思考実験

 メタ的な描写を作品に持ち込むことが、作品にとって良いのか悪いのかという問題が有る。
 例えば、絵画を1枚仕上げようというとき。途中まではとても美人な女性を写実的に仕上げていたとしよう。だが、作者はある日、その作品の前に座って描きはじめようとすると、その作品に「全く関係のない、唐突な」要素を加えてしまいたいという気がしてくる。しかもそれは、この作品をより良いものにしようとか、芸術界全体に挑戦状を突き付けようとかいう思想とは関係がない。ただ今日一日がすごく退屈だったので、気晴らしをしたいという気分である。作者は太い筆に黒い絵の具をべったりと付けると、すうーっとその肖像画に線を引いてしまった。しかもそれは顔にバッテンを付けるというような意味を持つ線ではなしに、何だということもなしにただただテキトーに引かれた線である。
 彼はここで、彼の刹那的な退屈気分をすでに完成しつつある作品に大胆にもぶちまけてしまったわけだ。更に大胆なことに、彼はこの作品に何の弁明も付け加えることなく肖像画として公表してしまった。世間の反応は知れている。人々は口々に「あぁ、この線さえなければ!」と言った。大方の人は、作者がこの蛮行に及んだいきさつを正しく推論し、「退屈だからといって作品を汚すとは何事だ」という評論を加えた。
 では音楽作品ならどうだろう。作者は途中まで、ありきたりな8ビートで、いわゆるロック調の曲を作っていた。ある拍子、この曲に電子音を乗せたいと思った。その音や旋律のイメージは凡そ固まっていた。しかし、彼はパソコンでそういった作業を行う技術に乏しいので、イメージにそぐわない音、ズレた旋律が出来上がってしまった。彼はもう連日の作業に疲れ果ててしまって、とうとうその電子音を乗せたまま、何の取り繕いも無いままにその作品を公表してしまった。ライブイベントでその作品を演奏すると、客は途中まで大盛り上がりで体を揺すっていたのに、その変てこな電子音がピーヒャラ鳴りはじめると途端に豆鉄砲を喰らったようにしずまってしまった。会場の後ろの方で座ってタバコを吸っていた1人の変わった静かな客は、その音楽作品が生み出す奇妙な感覚に目新しい感動を覚えていた。だが彼が周囲の人々にそれを伝えると、口々に「変わった奴だな」と言われてしまった。