yuuki_yoshino’s diary

ようこそ。自作の詩・随筆・小説・楽曲を置いておきます。

商売としての教育

塾の仕事はいよいよ圧力が強まってきた。

塾というのは何とも恐ろしい空間である。

支配の力関係の最後に糸を引いているのは、ワカランチンの親と学問へ向かおうとしない子供である。大抵の塾や家庭教師は子供が真の学問へ向かっていくことを奨励しはしない。

「これはこうしろ」「あれはこうやれ」と明確な指示を出し、あたかも教育的な責任を果たしているように見せかけるのが商売である。俺は、その支配の階層の最底辺に居るため、数々の圧力によって使われたい放題である。現代の教育者に引き算の意匠ということは頭にないのだろう。俺は遊んではいないのだが。
元々は、1日9,000円で引き受けられるならありがたいということで引き受けた仕事だった。だが結局のところ、手先でこねくり回すようなやり方をする塾だとわかり、失望したのである。要するに、クレームを出さない活動というわけだ。

子供たちは商売の道具として勉強に向かわされているし、皆、受験戦争を過熱させるべく、火に油を注いでいるのだ。大体、出来ない奴ら、中身に興味のカケラも無いような奴らに対してなぜこちらが工数をかけて右往左往立ち回らなければならないのかわからない。

彼ら自身にとって、何の意味があるのか皆考えているのだろうか。いじくり回せばそうするほど、彼らは枯れていくのではなかろうか。
私と志を同じくする、というより、似たような認識、染められていない認識を持つ人間を探すことに疲れ果ててしまった。そういった人間は書物の中にしか見つからなかったのである。母や彼女はそこへ迫ってくる数少ない人間である。

結局のところ、金の奪い合いを美化するような連中ばかりだ。既存の支配構造に当てはまる人間を欲しがっている。効率良く働く人間だけが高い金で買われるだけの社会である。つまらんなあ。

音楽界にも、芸術界にも、政界にも学問界にも期待できそうな人は浮上して来ない。皆なんだか、従容としているか、華美を気取って生存を図っている。

俺は、教育という深みのある探求をくだらない組織に所属して従うことでダメにしている場合では無いのではないだろうか。俺は、自らを自らの責任と自由の下で外に向かって開いていくべきではないだろうか。俺は商品ではなく、一人の人間として他人と共感や承認を図ることを妥協したくはない。俺が勝手気ままに、伸びやかに生きることで救われる人々が五万と居ることはわかり切っているのである。だがそういった人々は私と遠い関係に有る人々だけである。私のこうした活動を有難がらず、迷惑がる人々は常に、私の味方として私のすぐ側に居る人なのである。だから、私は私のメッセージをなるべく遠く遠くの人へ、暗号として発さなければならないのだ。

私の活動が一体何であるのか近しい人々に弁明することにでもなれば、私はたちまち取り囲まれて、正義の名の下にコテンパンにされてしまうに違いない。