yuuki_yoshino’s diary

ようこそ。自作の詩・随筆・小説・楽曲を置いておきます。

桃源郷の白昼夢

子供の頃は、私はよく夢を見た。夢というのは、寝ているときに見るものに限らない。幼稚園や小学校といった権力闘争の場では厳しい現実の前に小手先のやり繰りを強いられた。

だが私は中学3年生の頃に自らの認識に従って行動することを始めた。何をするべきで、何がそうではないか、私は熱心に追求するべく運命づけられていた。私は、権力闘争の外に出ることで一人一人の人間そのものとより穏やかに、深く知り合えるような気がした。だから私は闘うことを辞めることを覚えた。

それより前、自らの認識を現実の中に開いていくという生き方の自覚に至るまでは、私は単に現実と夢の対立を感じていた。つまり、私を安心させ、私が私として素直に居ても迫害されないような桃源郷を夢に見ていたのである。沢山の菓子が食べられるとか、生存の為に仕事をしなくて良いとか、勉強をしなくていいという夢ではなかった。私は安心できる居場所を夢に見ていた。そこでは全ての人々が呑気でゆっくりと時を過ごしていた。人々は他人を攻撃せず、圧迫することは無かった。何故なら人々は自分が自分で有ることに満足しており、また周りから攻撃されることが無いから、手を震わせながら自己を必死に弁護したり、そのような不安を悪夢に見て日夜うなされることも無かったからだ。それぞれが勝手気ままに暮らしても社会が崩壊することはなく、調和が保たれて経済は円滑に機能していた。

兄とは良く夢の共有をした。劇を創作して演じたり、漫画を描いたりすることで2人の夢を交わらせたのである。当時から、彼には現世での高い評価を得るために手近な方法を取るという傾向が見られた。恐らく、彼は私よりも学校でひどい迫害に遭っていたため、それと戦うことはより危急の課題として突き付けられていたのだろう。彼には真なる創作の才能が有ったように思う。しかし周囲の無責任な期待に応えんとするが余り、弁明が楽な道を選んだ末に自殺したことは残念で仕方がない。
私は私で、自らへの攻撃に対する恐れが自らの攻撃性を鋭いものにしていた。ギャングの世界である。上に盾を突けば皆から低く見られてイジメを受け、下で戦えば先生から叱られる。

支配の階層構造の中で日々戦っているうちは、桃源郷の夢が止むことはなく、自らの存在が社会の中で承認されることも無かった。ギャングの生存闘争は合法ではない。だが支配階層の者たちは恐れられ、すり寄られた。先生達でさえ、それを打ち壊そうとはしなかった。私はついに、そういった構造の中に居ることを段階的に辞めていった。それの後を追うようにして、桃源郷の夢は遠ざかって行き、私は現実の体を認識に従っていかに動かすべきか、これを模索するようになっていった。

高校や大学は何度も書いている通り、心の底からの失望を感じ続けた。私は桃源郷へ近づいていくのかと思った。だがそこは、社会からの批判を受けないほどに高度に暗号化された、一見すると非の打ち所が無いほどに潔白に見える権力闘争の世界であった。そこの人々はそれを全く自覚しておらず、攻撃の手段は法律や常識に則り、表向きは桃源郷の人間のように穏やかで物腰がやわらかいが、考えていることは自らと自らの活動が一体いくらで買ってもらえるのかという心配事だった。より直接的だった争いは金や評判の奪い合いに姿を変えることで見抜かれづらくなった。

自らの認識から行為を組み立てる人間がますます少数派になったばかりか、個々の認識そのものが世間のそれと離れがたく癒着しており、子供の頃よりも皆より色濃く染め上げられていた。善良なる社会人の制服を着ていない者はほとんど無視され、白痴というような扱いを受けるばかりであった。