yuuki_yoshino’s diary

ようこそ。自作の詩・随筆・小説・楽曲を置いておきます。

もう悩まなくったって良いじゃないか

もう悩まなくたって良いじゃないか

軽やかに生きれば良い

昼寝て夜起きても

快楽にふけっても

自分を縛り過ぎたんじゃないのか

真当に生きようと

 

だが君はすでに真当だし、

それで十分じゃないか

おびえることはない

 

君を束縛しようとする人々は

既に自分自身縛られているのさ

 

戦わなくていい

遊んでいれば良い

好きに生きて良いんだ

楽しいことを見つけよう

面倒なことは置いておこう

一人の人が死なずに生きている、

それで十分じゃないか

 

文句を言う者は放っておけば良い

真に受けてはならない

そいつの言うことを

 

そいつらは君を取り込もうとする

だが放っておけばいい

誰も他人を支配できない

君は君のものであり

奪われることがない

 

どうでもいい

ああ どうでもいい

お前の言い分は どうでもいい

何が正義で何が悪なのか俺の心は知っている

解ってないのは世間の方だぜ

独善的だと言うなら 教えてやろう

世間は誰でもないのだ

 

世間は、君自身が自分を卑下して

作り出した、見かけの良い偶像に

過ぎない

 

街頭インタビューに君は本音で答えるのかね?

君自身の赤裸々を吐き出せば、

人々は離れてゆくだろう

残るのは俺一人だ

 

真実そのものへ向かおうとしない大多数の

人々は、一体全体何なのだろうか。

自らが盲目であることすらわからないのだろう。

俺はそういう人々と関わるにつけ、すぐさま

逃げ出したい気持ちになるのだ。

その救いようのなさに

 

神は世間

 

これが現代日本人の認識だ。

少々ヤンチャをしても、奴らは神つまり

世間に土下座する。それだけ信仰が

深いのだ。

 

潔白なことはよろしい。だがそういう奴に

限って、影で平気で正義を欺くのである。

奴らが信じるのは世間だ。だから、

自らの評判さえ良ければ、誰を

傷つけても一向に構わず、むしろ自分

が真当な社会人であることを示すこと

になるわけだ。

 

世間信仰は実利が伴うだけに、大変

恐ろしい。社会的真実の前に

真実は破り捨てられ続けている。

 

ああ、なんと味方の少ないことか。

 

少数派を気取って斜に構え、自らを

卑下するような奴もみっともない。

「俺たちは負け組なんだ。お前もそれを

受け入れろ」というような奴らは最悪だ。

 

また、知識人面して自らの知見を偉そう

にしゃべり散らかしたり、他の人間を

「一般人」などと低く見るような奴らも

品がない。自分は人より多くを知って

いるつもりなのだろう。おかしな奴らだ。

 

もた、それにホイホイと追随するような

奴らは最低である。バカはすぐに他人を

尊敬したり軽蔑したりする。勝手

気ままに付和雷同しているだけのことだ。

皆が肯定するから、肯定する。

あくまでも常識人と認められなければ気が済まないのだ。

認められたい、愛されたい

ああ、おぞましいことだ。

 

「俺は世間をよくわかっている。つまり、真実によく

精通している」というような奴がいて、

また、それを見て「俺は意識が低いから、

ああいう頭の良い奴にはかなわ

ない。あいつはハイスペックだ」というよ

うな奴が居た。吐き気がした。

日本にエリートなど存在しないことが

良くわかった。信じた俺がバカ

だった。

 

総じて、世間の言い分をそのまま

真実として受け入れるような、単に

染まるだけの無能どもだった。

 

自ら、真実そのものへ向かっていこう

という気概の有る者は全く居なかった。

これは、能力の高低というよりも、

学問に対する誠実さの問題である。

 

世間の言い分と真実とのズレを意識し

ないような奴に、学問を修めたと

言って欲しくない。そういうバカを量産

することを推進するのが日本の教育

である。

 

奴らの動機の全てが、

世間の中で高く評価されることだった。

「いいね!」の奪い合い

みっともない。情けない。