真実への認識の扉が開きかけるのは いつも深夜だ
昼は社会的現実、あるいは自分がそう認識している妄想に、自らの意識が支配される時間である
金とは何であり、貧困は何処から来るのか?
その歴史的な成立過程を追えば、必ず原始にまでさかのぼるはずなのだ
何かを知るということの殆ど不可能な困難さを
俺は痛感し続けている
手がかりは沢山有るし、そういうものに俺は人より多く触れてきたと思うのだが、
どれもこれも生活の中で忘れてしまうし、
自らを取り巻く社会的現実と そこにもがく社会人としての俺にとっては
するりと手応え無く抜けてしまうようなものでしかない
日常的な解釈から自由になりたい
俺が見た真実は、なぜ社会にとっての真実と違うのだろう
なぜ 皆 世人であるのか
なぜ 皆 常識の一部を成しているのか
染まるだけの人間なんて、一体何なんだろう
そもそも生物にとって、目的と思われることは繁殖と種の存続である。
ダーウィンの進化論に従えば、
その時々の自然環境に適応できるような特徴が
結果的に生き残っていくわけだ。
適応しない種は、適応していないのだから、
進化しなければ絶滅するのである。
生物とはなぜ、誕生したのだろう。
不思議である。地球惑星の歴史を辿ると、
タンパク質が地球で合成されたところに
生物誕生の鍵があるらしい。
我々は何故、感情や意志を持つに至ったのだろうか。
我々は自分を物質と異なるものだと考えている。
普通に考えて、ただ石ころやガスが物理的法則に従って運動しているところに、自分の意志で動く奴が現れたということが驚きである。
生物の祖先は、物質である。
これが不思議でないはずが無い。