yuuki_yoshino’s diary

ようこそ。自作の詩・随筆・小説・楽曲を置いておきます。

芸術家は実生活において劣勢を強いられる

幸せも苦しみもその人だけのものである。特に、自らの意志では如何ともし難い事柄に人は苦しむのであって、そのような苦しみは共感を得難いものである。

 苦しみの吐露をしみじみと聴く人の何と少ないことか。大抵の人は、人の苦しみを簡単に取り除くことが出来る専門家のように思い上がり、自らの忠告一つでさっさと片付けようとし、相手の感謝までもぎ取ろうとし、結局その分相手の苦しみを倍増させるのだ。

 特に、苦しみの中に有る人に対して自らを優位に感じるような奴は残虐極まりない。自らは感性が鈍い故に苦しみを感じないタチなのに、既にその苦しみを努力によって乗り越え、解脱した者であるかのように錯覚し、盲目な羊を導く猟犬の如く振る舞うという滑稽に一生気がつくことも出来ない。

 そのような行いを自覚し、罪悪感を抱くようならば、それは優しい人間の要件として十分である。

 

 感性豊かな人間は、常に劣勢を強いられる。これは世の常で有る。決して変わることは無い。

 人類の歴史は、戦いと支配の歴史で有る。より戦略的に考え、実行に移す者が時運に乗って勝利を収める。

 文化、それは余計なものの集積である。生存に要らないもので有る。

 社会契約論は幻想で有る。現実には支配と服従だけだ。我々は支配者に生かされているだけで有る。

 新たな着想は全て屁理屈で有る。一個人の意志は我が儘である。その塁に依って戦わぬ者は負け犬の扱いを受ける。無論、私はただ眺めゆくだけ、戦わぬ者で有る。

 

 支配者が横暴を極めて、奴隷が革命を起こす。人の歴史はたゆまずこの繰り返しで有る。

 芸術家は、自らの生存を維持しつつ作品を作るだけ。チヤホヤされても、その真髄を学ぶ者ほとんど無し。文明は独りでに循環するのみ。反抗者としての芸術家、その輪廻に風穴を空ける術無し。故に、文明にとって反抗は意義無し。文明は征服の歴史。暴力を放棄する者は影響力を持たない。

 ソクラテス孔子も、確かにランドマークとして聳えてはいるものの、その姿から学ぶ者は居ない。本当に居ない。私のような者は阿呆・変わり者・愛すべき子供呼ばわりで有る。人間に動物以上の何かを期待するのは辞めにした方が楽かもしれない。