yuuki_yoshino’s diary

ようこそ。自作の詩・随筆・小説・楽曲を置いておきます。

映画「No Country for Old Men」を観て 2/5

 ベルがシガーとの肉薄に至る直前、カフェで別のベテランの警官と話す場面は印象的だった。二人は、近年の理解できない犯罪の原因について「若者が敬語を使わなくなった結果がこれだ」と共感する。つまり、伝統的な価値観を敬わなくなったことが原因だというのである。二人が、少なくともベルが本気でそう考えたとは思われない。単にそう腹落ちさせるしか術が無かったのであろう。まだアメリカ中西部が開拓期だった頃は、人の野蛮な欲望を行為に現すことができる機会も多かったろうし、自らや自らの家庭や仲間の生存期待性を向上させるという原始的な目的が、個人の内的な行動規範を決定づけていただろう。戦乱の時代を過したことがある人ほど、社会的な秩序の形成への強い欲求が生じるのだ。そうして作られた新たな秩序立った社会は平和をもたらすが、人は闘争への欲求を内にしまい込むか、他の活動に発散するかを選択しなければならない。平和と混迷は必ず交互に訪れる。ベルをはじめとする旧世代の人々は、平和な時代になぜ犯罪が起こるのかが理解できないのである。答えは人間の本能にある。

 モスもまた、自らのしがない、退屈な、貧しい日常に変化を求めようとして、とんでもない大事件に巻き込まれていく。モスを主人公にした判断は正しい。なぜなら、サイコパスではなく、自らの欲求に突き動かされて些細な悪事を働いて、どうしようもない大事に巻き込まれていくモスの有様は最も多くの人間に共感されるであろうからだ。人口の大多数を占める下流の人々にとって最も感情移入がしやすいのである。

 モスもまたベルと同じく、この争いに直面することを好まない1人である。物語の前半は、溶接工としての手先の器用さや狩りや戦争の経験に基づく銃撃のスキル、とっさの機転を発揮して、金を持ったまま追手から逃れようとする。しかし、シガーとの撃ち合いで深手を負った直後、メキシコとの国境にある橋から金の入ったケースを土手に投げ捨ててしまう。だがこれに懲りずに、メキシコの病院で回復した後は、妻に金を持たせて高飛びさせるという計画を実行しようとする。だがメキシコ人ギャングに居所を掴まれ、デザート・サンズ・モーテルにて銃撃戦の末殺される。

 モスの行動の動機はベルやシガーに比べて単純で明確である。金だ。そして、金を手に入れることでしがない暮らしを脱却して、妻により恵まれた生活をさせたいと考えているのだ。だが払う代償の大きさは遥か想像の上を行った。映画”蜘蛛巣城”の武時もそうだが、男の狩猟本能とか出世欲はしばしば大悲劇を生む。ベルは賢明だ。私は武時とかモスに共感はするけれども、見習いたいのはベルの行動様式である。彼もまた本能的な欲求を持つ人間であるはずだ。しかし、不幸な結果を回避する賢明さを持ち合わせているのである。この実生活における賢明さは、小説アンナ・カレーニナのリョーヴィンに通ずるところがある。