yuuki_yoshino’s diary

ようこそ。自作の詩・随筆・小説・楽曲を置いておきます。

ファシズムと反抗者

 この国家は、自国の民族の生存と繁栄を目的として、戦争へ向かうのだというようなことを、この国家の元首が雄弁に語り終えた。

 聴衆は国民である。万雷の拍手喝采で応える。一方で、私はただニーチェだな、と思っただけで、特別の感動もなかった。ただこの熱狂に圧倒されるばかりであった。立席せず、拍手もしなかった故に、私は死刑囚となったのである。

 

 高校時代に特に親しかった友人が8人いる。彼らは心身ともに性質がまちまちで有るし、職業もまちまちで有る。ただそこそこに試験の点数を取ることに長け、その高校に入学出来たというところと、全員が男であるという共通点だけが有るのみだ。

 彼ら8人は熱狂の一部と成った。故に彼らは今でも仕事を続けているのだし、死刑囚になっていないので有る。

 思えば、高校の頃から私と他の8人を隔てるものがあったように思う。それは、社会通念を素朴に受け容れる姿勢で有る。ある者は人間関係を大切にし、ある者は実証的科学を根拠に論じ、ある者は立身出世、ある者は色恋に、とその関心は多様なれど、どこか自らの存在とその意義を明確にする住処を持っていたので有る。

 しかし、私はそのような拠り処を持たずに来た。自らの生き様を正当化する武装に欠けている。特定の言説に安息する素質が無いので有る。

 

 ある時、そのうちの1人であるE君とお茶したとき、私の文筆活動にもそのうち国から横槍が入るから、早いうちに辞めておけ、家庭が喰うに困るのは本意で無いだろう、と言う。さらに、国と絡んでいる出版社の編集長が大学の知り合いだから、紹介しようと言う。私は誰かの為に何かを書くのでは無く、自らの認識に従って書くのだ、身から出た錆を書くのが芸術家の務めだと言って断った。E君からの温かい愛、親切…。心が傷んだ。彼は本気で私の身の上を想ってくれているのだった。しかし、自然人としておよそ共感出来ない仕事をすることは、巨悪に加担することに成りかねないと信じる私にとって、家庭の存続を危機にさらすことを第一に回避すべく行動する訳には行かなかったのだ。お茶の席においては、長く話が途切れることを避けたいものである。そこで、E君の仕事ぶりを聞いてみた。人の話を一対一で聴くことは、私の特技の1つなのである。

 

 彼はM市の建設会社の二代目社長である。商売の特性故に有力者との人脈は広く、国家の情勢にも耳が早い。夕方のニュースも見ず、古代ギリシャを読んでいるような私とは真逆なのだが、不思議と息が合うのだ。彼曰く、自らの幸せは自らの生活が順調であることだという。すなわち、家庭がひもじい想いをせず、仕事ははかどり、社内の活気が上々である、これが彼の幸せの要件で有るというのだ。もちろん、彼は国家の仕事に携わっていることを輝きを帯びた表情で語るのだ。私は心から、良かったねえ、と声をかけたし、微笑も心からのものであった。それは、E君とその家庭、その人脈に対する、より正確に言えば、その中で日々苦闘する人々への、その一個人々々への親愛の情、共感から来る本当に心からの祝福であった。だが、全く同じ瞬間に私は心が凍る感覚を覚えた。

 彼が国家とか社会というものに対して至って冷めた感想を抱いているにも関らず、その熱狂の一部となっている理由が一挙に説明され尽くされたからである。自らとその家庭、親愛なる仲間の幸福を目がけて日々汗を流す真当な生き様が、より処世術に秀でた者たちに利用されるのだ。彼は誰かの箱庭の中で、主人に拍手喝采を送り、熱心に働き、優秀なる奴隷として、ずっと幸せを感じ続けるのだ。

 

 私は自営の家庭教師として、細々と日々の帳尻を合わせている。教育の力を過信することは無い。箱庭の中から生徒を自由にしようなど、私の力では絶望的で有るし、そういった自由を両親が子供に望まないことを私は良く知っている。むしろ、親は子が箱庭の中で成功し、楽しそうに生きているのを見たいものである。そういった素朴な幸福にとって私は破壊者なので有る。一介の商売人が客の人生に責任を持てる訳がない。だが、自らの及ぼすかもしれない影響について責任を感じずには居られない。箱庭の中で遊ばない少数派の素質を持つ者にとって、私の存在が多少の気休めにでもなれば良い。

 果たして、E君の忠告通りの事態と成った訳だ。父母は私の親不孝を嘆いている。妻と息子は社会的立場を相当に悪くし、喰うに困る状況と成った。私と親しい人々は、もれなく私の境遇を悲しんだが、私を軽蔑する者は無かった。高校時代の友人8人もで有る。私には本当の親愛しか寄せ付けない素質が有るようだ。

 私は人間を愛している。だが、限定的な幸福の影には、必ず泣く者が居るので有る。この盲目からの自由、開眼こそが教育の真の課題であるのだ。根を深く、広く張ることに生涯を費やし尽くした。

 辿り来て未だ山麓

 口惜しい。申し訳ない。

 

 

追伸

 私が処刑されて5年ほど後、この国家は戦争に敗れたとのことだ。E君は時折、仏壇に拝みに来る。妻がコーヒーを淹れ、必ず20分ほど話をしてから行く。曰く、変わらず元気にやっているそうである。妻子も父母も、他の友人も大体同じである。私は悲しいか?いいや、全く。「良かったねえ」これである。